宮沢喜一元首相、死去・・・。・ニュースで政治・経済からアイドル・スポーツ・ITまで。管理人のつぶやき、ぼやきです^^

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宮沢喜一元首相、死去・・・。


宮沢喜一元首相が亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。87歳だったんですね。老衰だとのことで、大往生といえるのではないでしょうか。91年11月に当時の竹下派の支援でに首相に就任したのが72歳の時のこと。お疲れ様でした。

 自民党元衆院議員、宮沢喜一元首相が28日午後1時16分、老衰のため、東京都渋谷区の自宅で死去した。87歳。
 宮沢氏は戦後一貫して「保守リベラリスト」の道を歩んだ。憲法9条改正に慎重で、護憲・ハト派の代表的な存在。経済政策面では、積極財政路線をとり、高度経済成長の流れをつくった。
 生まれは1919年10月、東京。東大法学部卒業後、42年に旧大蔵省入省。池田勇人蔵相(当時)の秘書官に起用され、堪能な英語力と国際感覚を買われ、同氏の訪米に常に同行。53年10月の「池田・ロバートソン会談」で、戦後日本の「軽武装・経済優先」路線の基調をつくった。
 政界入りは池田氏の勧め。同年4月、衆院議員だった父裕氏の地元・広島県から参院議員に初当選を果たした。2期務めた後、67年から衆院旧広島3区に転じた。当選12回。
 初入閣は62年の第2次池田再改造内閣の経済企画庁長官。その後、通産相、外相、官房長官、党総務会長などを歴任。86年9月に鈴木善幸前首相(当時)から、池田派に連なる「宏池会」を継承、故竹下登元首相、故安倍晋太郎元外相らとともにニューリーダーと呼ばれた。しかし、竹下内閣の副総理・蔵相だった88年12月、リクルートコスモス未公開株取得に関する問題で辞任した。

(引用:Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070628-00000064-mai-pol
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